成舟 かんとりーL!FE

成舟のブログです。

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東京を飛び出し、東北へ移住してきて、もうすぐ二年になる…。

二年前の7月、東京をあとにした電車で途中下車。

盛岡の北上川にまずはギターで挨拶した。

その足で秋田は田沢湖へ向かい、その年の7月~10月までは、田沢湖で暮らした。

自転車こいで湖を見に行った日が懐かしい。

そして、盛岡でやりたい仕事がみつかり11月からアパートを借り、盛岡に移住…。

実は、最初の途中下車の時…北上川のあの木を見て、この街に帰ってきそうな気がしていた。

…その後、想像をはるかに超えた雪国の厳しい冬を体験した。

言葉では言い表せない大きな経験だった。

そして、東北と南国や東京との違い…、田舎の洗礼もうけた…。

でもね、所詮、日本や。

方言や土地が変わっても土地柄や価値観が違っても、それはどこにいても一緒。

所詮【同じ日本人】なんや。

文面で書けばそれだけの事。

でも、そんなシンプルな答えを理屈じゃなく経験で知る事ができたのは、

今後の人生に必ず大きく反映されると思う。

そして、辛い時にこそ、その経験が【今】を生きぬく力に変わる。

その【力】こそが成舟の【歌】なのだと思う。

東北に来て、ライブの回数は激減した。

勝負する場所がない事も事実。

でも、今の僕は今までで一番変化を歌で表現できる自信がある。

その自信は、人間を磨く中で生まれ成長し続けてくるものだから。

ライブができていなくても変わらず、ギターを弾きマイクを通せばスタイルを表現できる。

【無】を言葉ではなく、理屈ではなく、身体で感じる事ができだした。

涙が止まらない日も、【無】を感じれば気持ちが一つになり涙は止まる。

強く強く願い、書き続ける事。

メロディーを風から掴む事。

一つ一つへの想い。

空間を生み出す瞬間の喜び。

生きている事に無駄な事なんて何一つない。
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僕は、人とのセッションは苦手だ。

でも自然とのセッションは身体がなじむ。

自然を見ながらギターを弾くと気持ちがのる。

なぜなのか。

それは自然の中での演奏は、静けさの中で目に映る景色が変わり続けているから。

その静けさが好きなのだ。

草木や、花、風、子鳥のさえずり、ふと空を見上げると飛行機雲が横切る…。

そのまま目に映る映像をそのまま言葉にして即興する。

あぁしよう、こうしよぅという人間同士の言葉のやりとりは疲れる時があるが、

自然との会話は疲れない。

そう歌う事は難しい事じゃない。

ただ声に身をまかせ、頭の中を空っぽにするだけ…。

サイトウカズヨシの歌にこんな詩があったね。

師匠の池さんは、いつか言ってたな

「お客さんがいなくても目の前に見えるベンチや街灯や木とかに聴かせる気持ちで歌わないかん」。

大切な事だ。

沢山、人がいる所に聴いて下さいと出向くのではなく、

何もない誰もいない所でも届けようとする気持ちがとても大切なのである。

昨日は、そんな気持ちだった。嫁さんの叔母さんの家に、久々に遊びに行き、叔母さんの手入れした

【ガーデン】を見て思わずギターを弾いた。

仕事の疲れも、スーッと消えた。

久々に詩が書けそうな空間。

書いてみるか。

森の中で歌うのは、吉祥寺のあの森以来だな…。
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憧れの人。

その人は、僕が失敗した時、いつも笑ってくれた。

大失敗のライブ後…、「今日は、最悪やった…」というと

「でも最悪のライブができるっていい事でね。課題がないよりいいと思う。

俺も今だにわからん事だらけで!」と言葉をくれた事もあった。

両足踵骨折で入院した時、みんなが心配してくれている中、この方は

「骨折やないちや(笑)、なにしゆうがちや、ほんまに(苦笑)」と言って笑っていた。

あの人にそう言われると、なぜか落ち着くし嬉しくなる。

不思議な人。

憧れの人。

僕が二十歳の頃は、まだオリジナルの曲がなくぶ厚い歌本を持ってカバー曲を路上でやっていた。

そう池マサトさんを探しながら…。

ギターを演奏しながら歌うという心地良さを知った僕は、とにかく気になる曲をカバーしていた。

そんなある日、高知の帯屋町アーケード内でいつものように路上に座り歌っていたら…。

少し離れた場所から、聴き慣れない歌が流れてきた。

時間・空間がその場所だけ違っていた。

聴き慣れない曲、でもどこか懐かしく、大胆かつ斬新なメロディー。

そして、胸に届けられるハスキーボイス。

僕は、ギターを弾くのを止め、走っていった。

《見たい》この人は、誰?

歌っているまん前にベンチがあり座って聴いた。

そこには、目を閉じて歌うその人がいた。

出で立ちは、まさにスナフキンだった。

そうムーミンにでてくる自由と孤独を愛する旅人…。

民族衣装のような服。足は裸足でぞうり。

腰には手作りで作った様なmyハシ入れにハシをさしていた…。

ハーモニカ・ギター・声、それは何処にもないその人だけのオリジナル曲だった。

カッコ良かった。

「これや!自分の歌を作るんや!」、身体に電気が走った。

「あの~…、お名前は…」

「ヤマジ!!」

「あっ、やまじ?さん?ですか?」

「うん、そう」

「…名前は?」

「成舟です!!!」

「セ?セイ?シュウ?」

「ふ~ん、せいちゃんか」

たんたんと進む淡白な最初の会話が、自分の中のつぼにはまった。

「あっ!!思い出した!!」

「あれやろ!中央公園のド真ん中で大きい声だして山崎まさよし歌いよったろ!」

「えっ、あっ、はい、聴いてたんすか」

「聴いてたというか、あんな大きい声で山崎まさよし歌う人は初めて見たちや」

っと鼻で笑われた…。

本当に恥ずかしかった。

でもそのあと、、「あの~池さんていう人がおるらしいんやけど、、」

「池さんやろ!知っちゅうで~!!」

「凄いでね、池さんは!!」

僕が聞く前に、全て知っていた。

「えっ?見た事ないがかえ?今は、メフィストフェレスって喫茶店でライブしゆうで!」

「今度、見に行くかえ?」

最初から、いろんな事がびっくりするくらいに噛み合う人だった。

そこから、全国をヒッチハイクで旅をして沢山の歌唄いと知り合った話や、

その旅で、出会った全国の歌唄いを高知に呼び、野外イベントを主催した話など、

聞けば聞くほど、凄い人だった。

そのあと近くのラーメン屋に行き、朝まで音楽を語った事が今でも忘れられない。

2人共、高知県人なのにお酒に弱く、その日は、酒ではなく水で朝まで語った。

ラーメン食べたあとに、何時間も水で、、、。

今、憧れの人は、東京。

僕は、岩手。

でも、またあの日と変わらずラーメン屋で朝まで、音楽を語りたいね。

オリジナルの素晴らしさを教えてくれたとても大きな人。

そして、高知という故郷が僕の音楽の本当のジャンルなのだと今になって思う。

人生は旅だというが、そのとおりだ。

故郷の素晴らしさ、人の良さが解るのも離れてみて解る事が多い。

だから人生は旅なのだ。

憧れの人や師匠には、まだまだ届きませんな。















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津軽の侍。

元祖津軽衆ロック《ホイドーズ》のボーカルを務める鉄マン。

今日は、そのホイドーズを聴いている…。

彼との出会いは、僕が東京上京した年、2002年。

同じ高知出身の山地君宅にまだ居候していた頃。

山地君が「鉄マンえいで!」「凄いぐぁ~ってくるで!」「今度ライブ見に行こう!」っと誘ってくれ

ライブを見に行く事に。

※【ちなみに山地君は、池さんにも会わせてくれた重要な人…。その山地君のお話しは次回…】

代々木だったかな…、最初に鉄マンのライブを見にいったのは。

その時は、ギターのガク君と鉄マン、そしてキーボードに女性の方がいたような…。

とにかく歌聴いた瞬間、ひゃ~この人すげーっと、ただただ圧倒された。

力強いギター。  腹から突き抜けるような声をだし、空気を一変する魂の歌。

笛を吹き、音頭をとり、かけ声をあげる。

まさにねぶた祭りという青森カラーを感じさせる新しいロック、元祖津軽衆ロックがそこにはあった。

拳をつきあげ、とにかく客席を盛り上げるのが上手。

我が成舟には絶対にできないスタイルである。

だから、惹かれるのかもしれない。

自分には作れないオリジナリティ。

いやぁ、参ったなぁ、高知の侍として東京乗り込んで来たけど津軽?青森?凄い人がいるもんだなぁ

っと、実は心の中で思いながらライブを見ていた。

同時にこういった枠を飛び超えた世界をたくさん見る為に東京にきたのかもしれないっと実感した。

そして、圧巻だったのは『狼達に告ぐ』っという曲。

個人的に一番好きな曲。

何か自分の中にある葛藤や、矛盾、何とも言えない気持ちをぐっと抑え最後に解き放つような歌。

まさに鉄マンであり、ホイドーズの世界観がそこにはあった。

サビの終わりに鉄マンが狼の鳴き声を入れるのだが、それにやられた…。

本物の自然界を感じさせるリアルな獣の声…。

天に昇りきる途中にかすれて消えそうながらも、雲を突き抜け届けようとする切ない狼の声…。

胸が熱くなった。

その初対面から数ヶ月後、鉄マンは僕のライブに足を運んでくれた。

彼の素晴らしい所は、興味を持った人や興味を持ってくれた人、とにかくいろんな人のライブに

積極的に足を運びライブを見に行く事だ。

そして、それぞれのアーティストをいろんな所で宣伝していた。

自分の知らないお客さんが『鉄マンに見た方がいいと言われ来ました』っという方もいた。

凄いなと思う。

みんな自分の客を増やす事ばかり考えてしまう人が多い中で、なかなかできた事ではない。

いい音楽を創る為には、またその仲間を広げるにはとにかく耳に、目に、音楽を取り入れる事が

必要だと思う。  それが何よりも自分の教科書だと思う。

そういった事を周りに伝えていってる事は素晴らしい。

当時僕は、事務所に所属していて、いかにしてレコード会社と契約に結びつけるかという

常にギリギリの状態で歌に取り組んでいた。

吉祥寺のスターパインズカフェは当時の僕にはまだまだ規模が大きく知名度のない自分のライブは

コロシアムの様なあの会場の隙間隙間にスカスカとすり抜ける様な気持ちだった。

ライブ後、プレゼン用にレコーディングしたCDを何枚かテーブルに置き、

事務所の方とじっと座っていた。

もちろん、東京にきたばかりでそんな簡単に人は寄って来なかった。

ただ1人、『おう、成舟!良かったよ!俺はあれだね…、SKY WALK…、あの曲好きだよ。

おっ、CD?買うよ。ん~良かった。じゃっ!また!』そう言って彼は去って行った。

東京での記念すべきCD第1号購入者は鉄マンだった。

その時の1枚が一番嬉しかった。

…時は経ち、今年彼は地元の青森に帰ってきた。

僕も、今は岩手にいる。

正直2人とも東京とのギャップは感じていると思う。

オリジナリティが強い方が逆に遠い目で見られる事もある。

でも、鉄マンよ…、焦らず行こうな。

あの東京で見た街の景色から生まれてくる音楽は、もっともっと研ぎ澄まされちょったはずや。

こっからが本番や。 

我が土佐の男が何故ここまで来たか、それは、音楽で伝えるものがあるからであり、

伝えたい音があるからや。

我々の世代しかできない事があるはず。

枠にとらわれないオリジナリティと真剣勝負の中にあるリアリティ。

そこから生まれる空間から勇気を次の世代へ伝える。

そして次の世代が僕らを超えて行く。

その瞬間を創る事に意味がある。

売れる売れないは関係ない。

伝わるか伝わらないか。

夏あたり、会えればいいにゃあ、津軽の侍よ。
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